諏訪之瀬島の火山活動

                                                               平吉 孝明(元都立高校教諭) 



「フェリーとしま2」から見た諏訪之瀬島(中央部の噴煙が出ているところが御岳火口で、その下に広がるのが作地カルデラ)                                                                   


 このサイトは2001年から2017年まで公開していましたが訳あって閉じていました。最近になって再開してはという声を頂き、少しリニューアルして再スタートを切ることにしました。若い方々に少しでも諏訪之瀬島の火山活動に興味を持っていただき、調査・研究をする方々に現れて欲しいとの願いがあるからです。ちなみに8月26日は火山防災の日となりました(今年から)。日本には火山学者と位置付けられた人は185人ほどしかいないそうです。9月25日、政府の火山調査委員会が国内の111の活火山に対する現状評価を取りまとめ、活動に変化が見られるなどとして8つの火山に対して重点的に現状評価していくことを決めました。8つのうち、桜島や口永良部島、薩摩硫黄島、諏訪之瀬島の4つが鹿児島県にあります。選定理由は、直近1年に噴火した火山のほか、活動に変化が見られ推移の評価が必要だったり、変化が見られるものの調査研究が不十分だったりする火山のようです(共同通信)。

 諏訪之瀬島から遠ざかってかれこれ50年近くになりますが、2024年8月に念願かなって訪問することができました。1969年の7月に訪れた時はわずか250トンの十島丸でしたが、今回のフェリーとしま2はその8倍の2000トンでした。船内もグレードアップされ、Wi-Fiも使えるし、レストランまで備わった豪華な船になっていました。港湾施設も全ての島で拡充され、船(フェリー)が横付けできるようになっており、滞在時間が10分とスピードアップされ、まさに隔世の感がありました。船の航路も変更され中之島から諏訪之瀬島、平島の順となりました(以前は中之島から平島、諏訪之瀬島)。諏訪之瀬島は富立岳から始まり、頂上近くから流れ落ちる白水の滝(日本で2番目の落差)を間近に見ることができます。2024年7月に十島村は、白水の滝を村の指定文化財(名勝)に登録しました。次に、上の写真のような噴煙を上げる噴火口と下方に広がる作地カルデラを眺めることができます。日本中探してもこれだけ見事なパノラマを見ることができるのは、ここ諏訪之瀬島だけだと思います。運が良ければ噴火している様子をリアルに見ることもできます

  

            第2十島丸(1981)                           フェリーとしま2(2024)

 イタリアのストロンボリ火山が有史以来『地中海の灯台』として活動したのと同様に、諏訪之瀬島は『東シナ海の灯台』たる活動をしてきましたが、実は日本ではあまり知られていません。 2000年代に入って、諏訪之瀬島の総合調査が多くの火山学者の手によって行われ、詳細な報告書が出され研究が一段と進みました。ただ、島への交通も充実したとはいえ、週に2便程度ですからまだまだ不便さがあります。しかも、島内の道路は南部の集落付近に限られ、あとは道なき道を歩かねばならないのは現在も変わらず、まだまだ研究の余地はたくさん残されています。

 作地カルデラ(爆発カルデラ)の生成はいつごろか、文化10(1813)年大噴火以前の活動はどうなっていたのか、また大噴火を境に約70年近く無人島の時代が続きましたが、その間の火山活動はどうだったかなど興味は尽きません。 近年、七島衆(トカラはかつて七島と呼ばれ、薩摩と琉球の間の交易を取り持つ人々を七島衆と呼んだ。1609年の薩摩の琉球侵攻の際は水先案内人をつとめ、その後は薩摩藩の支配下に置かれた)の研究が進み、諏訪之瀬島にも存在していたことが明らかになりました。私が興味を持ったのは、七島衆のメンバーが文化10年の大噴火の際に400〜500人いた島民をどのように避難させたかということです(文化の大噴火以前は、100戸以上の住居があり、4つの寺院が存在したと明治時代に調査した笹森儀助の拾島状況録に記されています)。隣の悪石島に避難した老婆(この時はすでに亡くなっていた)の息子より聞き取りをした笹森の報告には、噴火の状況や避難の実態を記していますが、七島衆の存在そのものが記述されていません。薩摩藩支配下では、中之島と宝島に在番所が置かれ、諏訪之瀬島は中之島の管轄下に入っていました。従って、噴火以前の記録が残っているとすれば中之島在番所以外にはないと思われますが、これまでのところそのような報告は出ていません。 

 このサイトでは、文献に掲載してある歴史時代の噴火活動について時系列順に報告しています(ただし、約70年間の無人島時代は不明です)。2007年以降は気象庁・火山学会・理科年表等に掲載されていますのでそちらを参照してください。それと、最近の研究の成果が著しい文化10年(1813年)の大噴火、作地カルデラの生成や明治17年(1884年)大噴火、日本で2番目の落差(283m)を持つ白水の滝、諏訪之瀬島アラカルトなどを紹介させていただきました。ちなみに私の調査歴は、1969年7月、1970年7月、1971年3月、1971年7月、1972年8月、1973年4月、1973年7月、1973年12月、1974年8月、1978年8月、1981年8月、2024年8月の計12回となっており、このサイトの大半は1981年までの訪問での調査を中心に記述しております。当時は調査できたエリアが、現在では規制されているところもあります。

はじめに
 742〜
1883年
までの噴火活動
1884〜
1886年
までの噴火活動

1889〜
1915年
までの噴火活動

1920〜
1940年
までの噴火活動
1949〜
1959年
までの噴火活動
1960〜
1969年
までの噴火活動
1970〜
1974年
までの噴火活動
1975〜
1979 年
の噴火活動
1980〜
1989 年
の噴火活動
1990〜
1999年
までの噴火活動
2000年
以降の
の噴火活動
1813(文化10)年
の噴火活動について
作地カルデラの生成と明治溶岩流

富立火山と白水の滝

諏訪之瀬島アラカルト

 

海上より望む諏訪之瀬島(噴火活動中)
真向台から望む御岳火山(標高799m)
1974年8月1日の噴火(昼間) 1974年8月1日の噴火(夜間)

 

 

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