1920〜1940年の噴火活動記録
西暦
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元号
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月日
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噴火記録(参考文献)
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噴火活動
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1920
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大正 9
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8月
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『諏訪の瀬島は八月十日頃より十七八日頃まで平素より噴火稍々強く降灰ありしも人畜農産物の被害なし。』(東洋學藝雑誌) | 噴火 |
11月
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『同島は十一月十五日午前7時頃より噴火鳴動を開始し勢ひ稍々激烈なりしも同日午後六時無事平穏に帰したり。』(東洋學藝雑誌) 『一.震動及噴煙の状況 震動は一時間に約二回にして噴煙は一時間二十回位昼間に吐き出す噴煙は夜間は火光に變じ今尚噴煙しあるも昼間僅かに白煙を認むるのみにして鳴動は皆無なりと 一.其他参考事項 諏訪之瀬島島民の言に依れば噴火口は中之島に面し當該民の居村は背後の山腹に火口を控へありて音響は中之島民の聞くが如く甚しからず風位に依り時々降灰を見ることあるも危険なかるべしととて安堵し農事及漁業に従事し居れいと云ふ』(東洋學藝雑誌) |
噴火 | ||
1921
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大正10
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12月
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『12月8、9日に噴火あり』(気象要覧) 『大正十年十二月七日定期船宮古丸に乗じ…九日午前八時同上出帆再度鹿児島に向へり…午後一時十五分及三時十分大なる破裂ありたるが如く黒灰色を呈せる烟は濛々團々として山頂背よりも奔騰し、雲を貫きて天に冲し北西の狂風に壓せられて島の東半を掩蔽し灰色烟塵は遠く南東数十海里の洋上に濔漫するに至れり、午後四時三十分船は山頂を距つる約八九浬、南十度西在りたり』(地学雑誌) |
噴火 |
1922
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大正11
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1月
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『1月26日午後7時より噴火口よりの噴火のため震動し、翌27日午後2時より自然に震動止む。人畜および農作には被害なし。』(気象要覧) |
噴火 |
1923
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大正12
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『小活動あり』(九州の火山噴火史) | 噴火 |
1924
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大正13
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『小活動あり』(九州の火山噴火史) | 噴火 |
1925
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大正14
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5月
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『5月13日7時30分頃数回の閃光と共に大音響を発して震動を始め、同日午後1時30分頃鳴動やみたり。しかして今回の震動は最近になき大震動にして、その当時は平素の噴煙の約100倍の噴煙と共に数百ヶの岩石を上空高く噴出し、ために全島は降灰をもっておおわれるに至れり。噴火口沖合にて漁撈中の漁船は敷板を頭上にのせ、ようやく危険を避ける状況にして、噴火口付近は一帯に亀裂を生じ、熔岩をもって埋もれり、しかしてその間島民は部落の竹薮におりしが人畜その他に被害なし。』(気象要覧) |
噴火 |
1934
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昭和 9
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1月
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『昭和9年1月11日午後4時10分乃至15分の口永良部島新岳の大爆発の直後午後5時頃本島に於いても近頃稀な活動があったと云はれて居る。』(火山) | 噴火 |
5月
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『筆者等が本島を訪れた日は平常よりは比較的噴煙が少ないとの事であったが、深夜山麓の部落から、静寂の内に大地より湧き出づる鈍い唸りを耳にし、又暗黒の空に幽かながら赫々と輝る山頂の火煙を眺めた時の凄惨な印象は、深く脳裏に刻まれて未だに忘れる事が出来ない。』(火山) | 噴火 | ||
11月
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『…11月薩南硫黄島の海中噴火がはじまったあとは諏訪之瀬島の噴火は下火になり、降灰も非常に減じ、降灰に島民がなやまされるということはなかったという。』(国立科学博物館研究報告) | 噴火 | ||
1938
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昭和13
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3月
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『昭和13年3月11日3時45分同島正面を通過せる某船は耳を劈く一大音響と共に同島の爆発するを見た。其の状況は火柱点に冲し、熔岩塊の落下する爆発が周期的に行はれ約4時半迄繼續した。(因に同島は4.5×3哩、海抜500米、本邦火山中最も活動旺盛なるものの一である。)』(火山) | 噴火 |
1940
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昭和15
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『活動あり』(気象要覧) | 噴火 |
<参考文献>
・東洋學藝雑誌(1920):諏訪の瀬島噴火に関する件、38巻472号、473号
・気象要覧(1922、1923、1926):気象庁
・地学雑誌(1922):諏訪瀬島の爆裂、鈴木昌吉、34巻398号
・九州の火山噴火史(1965):福岡管区気象台
・火山(1936):吐喝喇火山群島を廻りて、鈴木醇、2巻4号
・国立科学博物館研究報告(1954):諏訪瀬火山の地球物理学的研究、村内必典、1巻2号
・火山(1938)諏訪瀬島、火山消息及報告、4巻1号